◎「強制連行」「強制労働」という表現に関する閣議決定(21年4月27日)を検証する
その4:日本政府に「強制連行」について語る資格があるのか

 2021年4月27日、日本政府は、「衆議院議員馬場伸幸君提出『強制連行』『強制労働』という表現に関する質問に対する答弁書」を閣議決定した。質問と答弁書の原文は以下のURLで閲覧できる。
 
 衆議院ホームページより(第204回国会 98 「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書)
 〈リンク https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/204098.htm
 
 これは日本維新の会所属の馬場伸幸衆院議員が提出した質問に対する、日本政府の公式回答である。戦時期の日本内地への朝鮮人の動員を、「強制連行」「強制労働」と呼ぶのが適当かどうかという馬場議員の問いに対する回答だ。

 ここまで3回にわたって、日本政府の閣議決定の内容をさまざまな角度から検証してきた。最後となる今回は、「内容」ではなく、この回答に見える政府の「姿勢」への疑問を提示してまとめとしたい。

当事者から話を聞いていない

 そもそも馬場議員の質問主意書は、どのようなものだったのか。その本文を上記のリンクで一読していただくと分かるように、残念ながら非常に読みにくい。しかし、整理すれば質問の内容は次の3点ということになる。

問い①:朝鮮半島から日本に朝鮮人労働者がやってきた経緯は様々であり、これを一括して強制連行ということはできないのではないか?
問い②:国民徴用令に基づいて徴用された人びとについては、「徴用」というべきではないか?
問い③:戦時下に動員されて日本に来た朝鮮人が強制労働させられた事実はあるか?

 この3つの問いに対して、日本政府の回答は以下のようなものだった。

①について:朝鮮半島から日本にやってきた朝鮮人労働者について一括して強制連行と表現するのは適切ではない。
②について:国民徴用令に基づいて徴用された人びとについては、「徴用」の語を用いることが適切である
③について:強制労働に関する条約には該当しないので強制労働と言うのは適切ではない。

 このうち、③についての回答が、ILO(国際労働機関)によってとっくに否定されている「詭弁」であることはすでに指摘した(検証その3で説明〈リンク〉)。
 
 一方、①と②は、当たり前の質問に当たり前の答えを返しているだけのように見える。これらの問答をくだけた言い方に翻訳すると、次のようになる。


馬場「全員が全員、無理やり連れて来られたわけではない。そうじゃない人もいるわけですから、すべて強制連行だとは言えませんよね」
政府「はい。確かにそうなので、全員について強制連行だというのはよくありません」
 

馬場「法律用語として、国民徴用令に基づく徴用は徴用と言った方がいいですよね」
政府「はい。法律用語の徴用は徴用と言いましょう」

 言葉の上だけで見れば、何もおかしなことは言っていない。
 だが、よくよく具体的に考えると、こうした回答を行う日本政府の「姿勢」に対しては首をかしげざるを得ない。

 まずは①への回答である。
 「強制連行された人もいれば、そうじゃない人もいる」。それは当然、そうだろう。
 だが日本政府に、「ここまでは強制連行。ここからは強制ではなかった」「強制でない人もいましたね」などとサラリと言う資格があるのだろうか。というのは、日本政府が朝鮮人労働者の強制連行の実態について調査したことは一度もないからである。

 「強制でない人もいた」。では、どこからが「強制でない」のか。実は、それを明らかにすること、その線引きをすることは、言葉で言うほど簡単ではない。そもそも強制とは当人の意思に反して何かをさせることであり、当人の意思が何であるかは、その人にしか分からないからだ。

 朝鮮人労働者が、口では「私はお国のために××軍需工場に働きに行きます」と言っていても、実際は「行かないといったら、村の役人が自分の家族に何をするか分からない。恐ろしいので従うしかない」というのが内心の本音であることも、大いにあり得る。

 とは言っても、第三者が「強制」の有無について客観的な判断を行うことが全くできないわけではない。実際、刑事裁判などで、ある行為を強要されたのか、同意の上だったのか――ということが争点となるのは、よくあることだ。

 そうした裁判では、強要の有無が争点であれば、裁判官が(可能であれば)当人の話を聞き、証拠=関連資料をよく調べて、その上で判決文を書くことになる。当事者の証言も聞かず、証拠も調べないで判決を下す裁判官はいない。

 では日本政府は、朝鮮人労働者の「強制連行」について、当時の資料を調べ、労働者に話を聞いたことがあるだろうか。実は全くないのである。
 韓国政府の求めに応じて、関連資料の調査を行政機関等に命じ、いくつかの名簿を渡したことはある。しかし、動員された当事者の朝鮮人から経験を聞き取ったことはない。

 中国人強制連行問題については、敗戦後に調査し、報告書をまとめている。「慰安婦」問題については、河野談話(〈リンク)をまとめる際に、当事者からのヒアリングも含めて調査を行った。迫られてのこととはいえ、中国人強制連行や「慰安婦」問題についてはそうした調査を行っている。
 ところが、朝鮮人の労務動員についての調査は全く行っていない。

 そんな日本政府に、「強制連行」の有無を判断し、「強制連行じゃない人もいましたね」などと語る資格があるのだろうか。
 もし何か言うのであれば、せめて、動員された人びとのところに出向いて話を聞かせてもらってからにすべきだろう。

 そもそも日本政府ばかりではなく、質問を行った馬場議員も、朝鮮人労働者の動員実態についてしっかり調べた形跡が見られない。馬場氏の質問書は、実際に動員された朝鮮人に話を聞き、文献や資料に残された彼らの証言を読んだ上でなされているわけではない。

 その代わりに馬場議員が出してくるのは、「産業遺産情報センター」で展示している、かつて端島(軍艦島)で暮らした在日韓国人二世の証言である。内容は「周囲の人とか、いろいろ方からかわいがられたことはあるけど、指さされ『あれは朝鮮人ぞ』とか、そういうことは、まったく聞いたことがないですね」というものだ。

 だが、この方は終戦時にまだ12歳であり、その父は戦時動員が始まる前に端島に渡った人である。この証言が、朝鮮人労働者の強制連行の有無といった話とは関係がないのは明らかだ。

定説を踏まえてない

 ②の回答は、「法律用語の徴用は徴用と言いましょう」というものであり、それ自体は間違っていない。しかし、それでは「法律用語」としての「徴用」について、日本政府はしっかり認識しているのだろうか。
 
 2018年10月30日、韓国の大法院で日本製鉄に勝訴した韓国人元労働者の原告について、安倍首相(当時)は、「彼らは徴用ではない。募集に応じたものだ」と国会で語っている。だが、就業時に「募集」であっても、彼らは1943年12月に施行された「軍需会社法」「軍需会社徴用規則」によって「法律用語の徴用」身分になっていたのである(詳しくは当サイト内「◎誤解その1「強制連行、強制労働はなかった」という誤解」〈リンク〉)。
 
 発言したのは安倍首相であっても、当然、担当職員が事前にチェックしたはずだ。「法律用語の徴用」について、当時の動員法令について、官僚たちがしっかり調査し、理解しているのかどうか疑わしくなる。
 
 そもそもこれが、「徴用」という「法律用語」があるのだから「強制連行」「強制労働」と呼ぶべきではない――という含みをもつ問答なのだとすれば、論外と言うべきだろう。動員法令の中にどのように法的に位置付けられるかということと、実態として強制連行・強制労働であったかどうかというのは、当然ながら全く次元が異なる話だからだ。
 
 この答弁書は、政府の正式な決定だけに重みをもつわけで、様々な反応を呼ぶことになる。これを都合よく解釈して、「これが政府見解だ。学者やメディアはこれに従え」と主張する人も出てくるだろう。特に教科書記述に関して、これを基にして様々な圧力を加えようとする動きも出てくるかもしれない。
 
 だが、メディアも教科書会社も、それを恐れたり、動揺したりする必要は全くない。
 まず、答弁書が言っている「朝鮮人労働者の全てを強制連行された人とすることはできない」「国民徴用令に基づいた徴用については徴用と呼ぶ」という主張と、「戦時期には多くの人びとが朝鮮から強制連行されて日本にやってきた」「国民徴用令の手続きによって徴用となり、抵抗しても強制連行されて日本の事業所に配置された」というこれまでの学問的な常識とは、それ自体は論理的に何ら矛盾していない。
 
 「強制労働」については、朝鮮人の戦時労務動員は「強制労働に関する条約」が定める強制労働には当たらないと日本政府が主張しようと、ILOはそれに同意しておらず、「あれは強制労働だった」という見解の方が国際的常識とは合致している。
 
 もし、「戦時期の朝鮮人がついていた職場では強制労働が横行していた」と言った人が、誰かから「それは政府見解と違う」と非難されたとしても、「私がここで『強制労働』と呼んでいるのは、労働基準法第5条に違反する状態のことだ」と説明すればよいのである。
 
 そもそも、政府見解がどうであれ、個々人が発表する文章、メディアや学術研究での用語の選択は、あくまで自由である。ある表現を使う、使わないといったことについて、政府に従わなければならないという義務はない。それは日本政府もそう言っている。
 
 教科書についてはどうだろうか。
 教科書については検定制度があり、一定の基準=学習指導要領をもとに執筆する仕組みになっている。今回の答弁書は、「強制連行は全く存在しなかった」とか「労働基準法第5条で禁止しているような強制労働はなかった」とまでは言ってはいないが、この答弁書をタテに「強制連行、強制労働はなかった」として、「そう書いている教科書はおかしい」と言い出す人びとがいることは十分予想される。
 
 だが検定は、あくまでも政府の見解ではなく学問的定説をもとに行われることになっている。文科省が教科書会社に対して一定の見解を押しつけることができるのは、その見解が定説になった場合に限られる。そして定説の変化は、かつての説とは別の解釈や新しい発見が出てきて、それが学界のなかで認められることによってのみ起こるものだ。
 
 では現在の「強制連行」「強制労働」をめぐる定説はどうなっているだろうか。歴史用語辞典でも「強制連行」の語は出ているし、一般の市民向けに書かれた日本史や朝鮮史の本でも、戦時期に多くの朝鮮人が強制連行され、強制労働で苦しんだことは記されている。つまりこれが「定説」なのである。今のところ、そうした定説に異議をとなえる説が歴史学界で影響力を持っているという事実はない。

 戦時期にも、生活のために自ら選択して日本にやってきた朝鮮人は確かにいる。だが戦争遂行に関わって国家計画として行われた戦時労務動員においては、朝鮮人労働者が本人の意思に関わりなく連れて来られることが多かったのが実態であり、「強制連行」とはそうした実態を指す言葉なのである。
 
 付け加えるならば、強制連行の史実は、平和や差別、労働者の権利について考える上でとても重要なものであり、たとえ教科書の記述が1行程度のごく簡単なものだったとしても、その教科書の中で強制連行という語が使われなかったとしても、学校で詳しく教えていいはずだ。この間の経緯や一部のマスコミ報道を見れば、それは歴史だけでなく、情報リテラシー教育の教材にもなるだろう。

2021年7月20日)

 
 
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