◎『反日種族主義』を疑う〈その2〉
「自発的で強制ではない」の説明が支離滅裂

明らかな間違いや重要な史料の無視が多い

 動員計画に基づく朝鮮からの日本内地で働くべき人員の確保は、「徴用」(国家総動員法第4条と国民徴用令に基づく手続きを経たもの)が全面的に発動される以前は、「募集」や「官斡旋」と呼ばれる方法で行われました。これについて、李ウヨンは、次のような説明を行っています(『反日種族主義』日本語版の68頁)。

  • ①募集と官斡旋には、法的強制性がなかった。応じなかったとしてもその朝鮮人を処罰することはできなかった。
  • ②募集では、日本から来た企業の社員に朝鮮人が「私が行きます」と意思表示をし、審査を経て日本に行った。
  • ③徴用が実施された時もそれ以前と同様、多くの朝鮮人がブローカーに大金を握らせ、日本に密航しようとしていた。日本行きは朝鮮の青年にとって「ロマン」だった。
  • ④徴用が実施された時もそれ以前も、多くの朝鮮人がより勤労条件のより良いところへ逃亡した。
  • ⑤動員の配置先は炭鉱のような鉱山であったが、朝鮮人は大部分が農村出身で地下労働を恐れ、建築現場のようなところに逃げた。
  • ⑥つまり、朝鮮人労務動員を全体的に見ると、基本的には自発的であり、強制的ではない。

 この説明には、間違いというわけではない部分も確かにあるのですが、明らかな間違いや重要な史料の無視が多く含まれています。何を言っているのかよく分からない文章も多く、じっくり読めば気が付くことなのですが、そもそも⑥の結論にもっていくには、矛盾があります。それぞれの部分について、具体的に見ていきましょう。
 
(「募集」「官斡旋」「徴用」についての説明はこちらで→当サイト内「戦時労務動員―日本人と朝鮮人はどう違うのか」リンク〉)

「意思表示と審査を経て動員」は根拠なし

 ①「募集と官斡旋には法的強制性はなかった」は、間違いではありません。
国家総動員法第4条でいう徴用となった場合、言い換えれば、行政命令として徴用するという指令が出された状態では、それを拒否したり、勝手に職場を離脱したりした場合、1年以下の懲役または1000円以下の罰金に処されました。これは国家総動員法第36条に規定されていることです。

 これに対して、募集や官斡旋はそうした法律に基づく罰則はありません。ただし、募集や官斡旋で日本内地の事業所に配置された者が、そこで働いている間に、その職場で、徴用されることもあります。そこの職場で働くことを命じる徴用令書が出る、あるいはその職場自体が軍需会社ないし軍需拡充会社に指定された場合は、その職員は、法的に徴用されたということになるのです。実際、そうした事例は少なくありません。その場合は、やはり、職場を勝手に離脱したりした場合は、国家総動員法第36条に基づく罰則の対象となるので、やや説明不足でしょう。

 ②「募集は朝鮮人の意思表示と審査を経て行われた」という文章は、いったい、どんな史料を見て書いたのかよく分かりませんが、募集の一般的な様子を表した説明にはなりません。募集がどのように行われたのかは、1942年1月以前は(この段階では、募集による動員のみでした)に日本内地に動員された人の証言を集めれば分かります。

 面(村)役場の職員や警官がやって来て、動員されたというケースが少なからずあります。仮に「私が行きます」という意思表示があったとしても、虚偽のない説明を十分に受けた上でのものかどうかも疑問です。これまで明らかにされている記録の中には、そうした証言は、おそらく存在しません。

「ブローカーに大金払って密航」も全くの間違い

 ③の「徴用実施後も多くの朝鮮人がブローカーに大金を払って日本に密航した」というのは全くの間違い。控えめに言っても根拠不明です。朝鮮からの徴用による人員確保が始まった時期に朝鮮内に出張していた厚生省事務官の報告には、朝鮮人が日本内地への渡航を忌避する傾向が見られることが記されています(松崎芳「復命書」、1945年1月8日、これについては、外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書、2012年で紹介)。また、「密航」については、1942年までは内務省警保局の『社会運動の状況』に日本側で発見された人数の統計が掲載されていますが、それ以降の統計は見当たりません。つまり、「徴用」が始まった時期以降は、密航関連の統計さえないのです。

 もちろん、実はこれまで知られていない史料があるのかもしれませんが、そうであるとすれば、それについて記すのが研究のルールというものでしょう。いったい何を根拠に、この時期も密航が盛んだったと述べているのでしょうか?

 ④「多くの朝鮮人がより勤労条件の良いところへ逃亡した」は、動員された朝鮮人に逃亡が多かったのは事実なので、その意味では間違いとまでは言えません。ただし、李ウヨンは書いていませんが、あらかじめ勤労条件が今よりよい職場を見つけ、確実にそこに移れることを知った上で逃亡した、というケースは決して多くはなかったでしょう。

 日本の事情も知らず、日本語もよくできず、隔離されて労働を強いられていた朝鮮人労働者の場合、どこに行けば今より給料が高いとか、労働が過酷ではないとか扱いが悪くないといったことが、分かるわけがありません。

 実際には、逃亡のほとんどが、「この職場じゃなければどこでもいい」とか「ここにいたら殺されかねない」というほどの状況に追い込まれて決行したものです。証言などでは、そういう話が多く出てきます。そして、逃亡してかくまってもらった職場も、やはりタコ部屋だったという事例もあります。さらに言えば、逃亡しようとしてつかまって半殺しの目にあったという証言も少なくありません。
 

「ロマン」あふれる職場からなぜ「逃亡」?

 ⑤の「農村出身の朝鮮人たちは鉱山に配置されたが、地下労働に恐怖を感じて逃亡した」も、確かにそういうこともあるでしょうから、完全に間違いとは言い切れません。ただし、鉱山労働だけが忌避されたわけではなく、少なくとも戦争末期には、前述の厚生省の事務官の報告で記されているように、朝鮮人は動員による日本内地行き全般を忌避するようになっていました。そしてその理由は「給料等の家族への送金が僅少ないし皆無であること、音信不円滑で安否不明となるケースがあること、期間満了による帰郷の期待が裏切られたこと、労務管理の不備」であると説明されています(外村大『朝鮮人強制連行』)。問題は「地下労働」ではないのです。

 そもそも、話を鉱山労働だけに限定したとしても、配置された職場で、しっかり安全対策を取っていて、訓練や安全のための教育も十分に行われ、給与や待遇も満足し得るものだったら、鉱山労働に不慣れだったとしても、そこから逃げようという気にはならないはずです。

 以上のように、李ウヨンの文章は、先行研究を無視したり、明らかな間違いを記述したりと、かなり粗雑です。そもそも、①~⑤の主張から、どうしたら、⑥「朝鮮人労務動員は全体的には自発的であり、強制的ではなかった」という結論を導き出せるのか、全く理解できません。

 「ロマン」を感じて、「私が行きます」と意思表示したはずの職場が、ひどい労働条件で、恐怖を感じるような仕事であったというのは、どういうわけでしょうか。そこから多くの人が逃げ出したのはなぜでしょうか。そもそも、法的には処罰がないはずなのに、配置された職場から移動することが、なぜ現実には「逃亡」と表現されているのでしょうか。

 酷い労働条件の職場なので労働者が集まらず、そこに無理やり朝鮮人を配置した、脅したり、監視したりして職場の移動を禁じていたが、それでも逃亡する者がいた――と考えるのが自然でしょう。

 現に、そうした状況を伝える多くの日本側の記録があり、朝鮮人労働者の証言があります。そうした実態を指して、強制連行、強制労働というのです。

2020年10月20日)

 
 
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